映画『国宝』で、森七菜さんが演じた彰子の人生について、疑問に感じてる人が多いと思います。
映画の後半、すっかり姿が見えなくなった彰子について「吉沢亮さん演じる喜久雄と別れたの?」「それとも一緒にいるの?」といった感じで、モヤモヤしてるはず。
今回は、気になる彰子のその後について色々調べた上で、私自身の主観に基づいてお伝えします!
原作についても少し触れたいと思います。
①森七菜『国宝』後半どうなった? 彰子と喜久雄は別れたの?
まず、最初に気になるのが「『国宝』の後半の展開がどうなったのか?」「彰子と喜久雄は別れたのか?」という疑問ですよね。
映画の後半のワンシーンでは、喜久雄が梨園で復帰して、歳を重ねた頃の晴れ舞台で人間国宝に決まった祝典の時、彰子はいなかったようです。
その場面を観た上で、ネットなどの反応で「屋上で喜久雄が舞うシーンで、二人は永遠の別れを決意した。」と思わせるコメントがあります。
(※屋上のシーンについては、後程、改めてお伝えします。)
ここで、私の主観をお伝えします。
元々、喜久雄は歌舞伎界の出世のために、彰子との結婚を考えて生きることを選びました。
そんな喜久雄のことを愛している彰子が「自分に気持ちが向いてないこと」に気付き「これ以上、喜久雄を支えることができない。」と感じて、自分の道を歩む決断をしたようにも思えます。
喜久雄自身も女形の歌舞伎役者として、人生を掛けてストイックな姿勢で、独りで身を捧げる事を決意しており、お互いが「自分の宿命」を認め合って別れを決めたと考える事もできます。
喜久雄のことを、本気で愛していただけに悲しいのですが、彼女が自分を取り戻すための第一歩かもしれません。
②森七菜『国宝』2人はどうなった? 屋上のシーンの後から彰子はいなくなった
映画を観た人なら「あの屋上のシーンで2人の関係が終わったのかも…」と思った人も多いはず。
喜久雄が「白塗りのメイクを崩したまま、ボロボロの姿で舞うあの悲しいシーン」ネオンと夜景の中で舞う姿は、酔っていたり、感情が爆発していたり…あの場面は観客の心に強く残ります。
屋上で舞う喜久雄の姿は「旅館のドサ回り(小さな舞台)で、客からバッシングを受けて、ボロボロになった無様な男」と「いつか必ず、歌舞伎役者として成果を上げる華麗な男」の境界線を表しているようにも思えます。
彰子はそんな喜久雄の無様で華麗な姿を、遠くから見つめていました。ひとこと『何みてるの?』
喜久雄は『どこ見てたんやろ』。
そして、明子は静かに去って行きます…
このシーンの彰子は悲しみ、諦め、色んな感情が混ざっていると思います。
吉沢亮さんは後のインタビューで、監督から「森七菜ちゃんの顔を見て」って演出されたそうですが、あのシーンは喜久雄と彰子の関係が終わる、とても大切な場面だったんですね。
そして、屋上で舞う喜久雄のシーンから、彰子の出番は無くなるのですが、劇中の展開が喜久雄と俊介(演・横浜流星)のストーリーにスポットを当てるため、彰子を登場させなかったと考えられます。
「映画を観た方のご想像におまかせします!」といったところでしょうか。
③森七菜『国宝』喜久雄とどうなった?原作では別れない?
さて、原作(小説『国宝』)では、森七菜さん演じる彰子がどうなっていたのか?映画と異なる点があります。
吉田修一さんの原作小説では、彰子は喜久雄と最後まで別れないんです。映画とは全然違いますよね!
原作の彰子は、喜久雄を支え続ける妻として描かれていて、喜久雄が苦しい時期もずっと側にいました。
感想についてリサーチしたところ「原作の彰子は、喜久雄を歌舞伎役者としての成長のために、仕事を回し引っ張り続ける存在」という声があります。
この違いについて、多くの人が「どうして映画では彰子を消したの?」って疑問に思っているはず。
私が思うに、映画は喜久雄という一人の男が芸に全てを捧げる物語として、よりシンプルに描きたかったんじゃないかと考えられます。
原作は上下巻の長編小説だから、色んな人の人生を丁寧に描けるけど、3時間の映画では難しく、喜久雄の芸への執着に焦点を当てるために、あえて彰子との関係を途中で終わらせる選択をしたのかもしれません。
映画と原作、どっちが良いとか悪いとかではなく、それぞれ違う『国宝』として楽しめるってことなんだと思います。
気になった人は、ぜひ原作も読んでみてください。彰子の違った一面が見られて、また新しい発見があると思いますよ!
④森七菜『国宝』どうなった?彰子は吾妻千五郎の元に?
『国宝』で、森七菜さんが演じる彰子が歌舞伎役者の父・吾妻千五郎の元に戻ったのかという疑問について考えてみましょう。
彰子は喜久雄のために、父親の反対を押し切って駆け落ちしましたが、最後は別れることになります。そして、彰子が吾妻千五郎の元に戻った可能性は十分あると思います。
吾妻千五郎は歌舞伎界の重鎮です。彰子が喜久雄と駆け落ちした時は激怒して、歌舞伎界から喜久雄を追放するほどでした。
でも、それだけ娘のことを心配していた父親なら、彰子が一人になったと知ったら、きっと受け入れてくれると思います。
彰子自身、喜久雄の屋上での姿を見て、芸のために人生を捧げるということの恐ろしさを感じつつ、喜久雄の芸への執着は理解できても、共に生きていくには辛すぎたんだと思います。
そういった気持ちを、父・千五郎は理解した上で、その後は歌舞伎とは関係のない、穏やかな人生を送ったんじゃないかなって思います。
喜久雄が人間国宝になったというニュースを新聞で見て「良かったね」って遠くから思っていたかもしれません。ただ、もう二度と会うことはなかったことを考えると、なんだか切ないですね。
観た人それぞれが想像できる余白があるのかもしれません。森さんの演技がとても印象的だったからこそ、彰子のその後が気になってしまうんだと思います。
最後に、映画『国宝』はロングランヒットで上映中ですが、いつ終わるかわかりません。
お早めに劇場へ足を運んで頂くことをオススメします。
壮絶な物語を是非ご覧ください!
最後までお付き合いくださりありがとうございます。

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